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大阪地方裁判所 昭和61年(ワ)1748号 判決 1991年3月14日

原告

富永泰央

被告

竹本四郎

ほか五名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告竹本四郎、被告李成吉及び被告和田高志は、各自、原告に対し、金一億〇四三二万七四〇二円及びこれに対する昭和五九年二月一三日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告東京海上火災保険株式会社、被告日動火災海上保険株式会社及び被告大正海上火災保険株式会社は、原告に対しそれぞれ金一五六七万円を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  1、2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  第一事故の発生(以下、「第一事故」という。)

(一) 日時 昭和五九年二月九日午後四時二〇分ころ

(二) 場所 大阪市住之江区泉一丁目一番七二号先路上(以下、「第一事故現場」という。)

(三) 加害車 大型貨物自動車(大阪一一い九四五三号、以下、「竹本車」という。)

右運転者 被告竹本四郎(以下、「被告竹本」という。)

(四) 被害車 普通乗用自動車(大阪五九せ四九三九号、以下、「大倉車」という。)

右運転者 訴外大倉博利(以下、「大倉」という。)

右同乗者 原告

(五) 態様 信号待ちで停車中の竹本車が突然後退して、同じく信号待ちで停車中の大倉車の前部に衝突した。

2  第二事故の発生(以下、「第二事故」という。)

(一) 日時 昭和五九年二月一二日午後四時五〇分ころ

(二) 場所 大阪市都島区片町一丁目五番四号先路上(交差点内、以下、「第二事故現場」という。)

(三) 加害車(一) 普通乗用自動車(泉五七の一〇二〇号、以下、「和田車」という。)

右運転者 被告和田高志(以下、「被告和田」という。)

(四) 加害車(二) 普通乗用自動車(大阪五九た九三三〇号、以下、「李車」という。)

右運転者 被告李成吉(以下、「被告李」という。)

右同乗者 原告

(五) 態様 片側二車線の右側車線から第二事故現場の交差点を左折中の李車に、左側車線を直進中の和田車が衝突した。

3  被告らの責任

(一) 被告竹本、被告李及び被告和田の責任

被告竹本、被告李及び被告和田らは、それぞれ竹本車、李車、和田車を保有して、これらを自己のために運行の用に供していたものであり、また、第二事故は、原告が、第一事故による傷害の治療を受けるために入院準備の目的で和歌山県東牟婁郡那智勝浦町(以下、単に「勝浦」ともいう。)の自宅に帰るべく天王寺に向かつている途中で遭遇したものであるから、第一事故と第二事故との間には相応の関連性があり、しかも、両事故があいまつて、原告に後記のような重篤な後遺障害をもたらしたものであるから、被告竹本、被告李及び被告和田らは、自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)三条、民法七一九条一項に基づき、第一事故及び第二事故(以下、両事故を併せて「本件事故」ともいう。により原告に生じた損害を賠償する責任がある。

(二) 被告東京海上火災保険株式会社、被告日動火災海上保険株式会社、被告大正海上火災保険株式会社の責任

被告東京海上火災保険株式会社(以下、「被告東京海上」という。)は、被告李との間で、被告日動火災海上保険株式会社(以下、「被告日動火災」という。)は、被告和田との間で、被告大正海上火災保険株式会社(以下、「被告大正海上」という。)は、被告竹本との間で、それぞれ、李車、和田車及び竹本車につき、それらの車両の運行によつて他人の身体を害したときは、自賠法施行令二条所定の保険金額を限度として被害者に損害賠償額を支払う旨の自動車損害賠償責任保険(以下、「自賠責保険」という。)契約を締結していたから、自賠法一六条に基づき、右限度額の範囲で本件事故によつて原告に生じた損害賠償額を支払う義務がある。

4  損害

(一) 受傷内容、治療経過及び後遺障害

(1) 原告は、本件事故により、頸部捻挫及び腰部捻挫等の傷害を受け、次のとおり治療を受けた。

ア 愛泉病院

昭和五九年二月九日から同月一〇日まで通院(実通院日数二日)

イ 吉川病院(旧名称、日聖病院)

<1> 昭和五九年二月一三日から同年六月一八日まで入院(一二七日間)

<2> 昭和五九年六月一九日から同年一〇月二七日まで通院(実通院日数一二四日)

<3> 昭和五九年一〇月二七日から同六〇年二月一日まで入院(九八日間)

<4> 昭和六〇年二月二日から同年三月一三日まで通院

ウ 板野クリニツク

昭和五九年六月一九日から同年八月一〇日まで通院(実通院日数二五日)

エ 大阪赤十字病院

昭和五九年八月二三日から昭和五九年九月一三日まで通院(実通院日数三日)

(2) 原告は、、右のとおり昭和六〇年三月一三日まで入通院したが、同日左上肢及び左下肢の著しい機能障害、腰部疼痛、左手握力の著しい低下、視力障害等の後遺障害を残して、症状が固定した。

そして、右後遺障害は、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表(以下、「後遺障害等級表」という。)の三級に該当するものである。

(二) 損害額

(1) 入院雑費 二七万円

吉川病院入院中の二二五日間に、一日当たり一二〇〇円を下らない雑費を要した。

(2) 休業損害 五〇二万〇四五〇円

原告は、昭和二〇年一月一〇日生まれ(事故当時、三九歳)の健康な男子であり、昭和五九年一月六日から訴外株式会社土佐建設に、一か月当たり三〇万円の給料と夏期と冬期の年二回にそれぞれ月給の二か月分の賞与が支払われる約束で勤務していたから、昭和五九年当時の三九歳男子の平均月収額である一が月三八万一三〇〇円を下らない収入があつたものというべきところ、本件事故により前記傷害の治療のため、昭和五九年二月一三日から症状固定日の同六〇年三月一三日までの三九五日間、休業を余儀なくされたから、次のとおり五〇二万〇四五〇円の休業損害を被つたものというべきである。

(算式)

381,300円÷30日×395日=5,020,450円

(3) 逸失利益 七七九三万六九五二円

(2)記載の原告の年齢、稼働状況、収入によれば、原告は、本件事故に遭わなければ、症状固定時の四〇歳から就労可能な六七歳まで二七年間稼働することができ、その間毎月少なくとも三八万六五〇〇円(昭和六〇年当時の四〇歳男子の平均月収額)を下らない収入を得ることができるはずであつたところ、前記後遺障害によりその労働能力を一〇〇パーセント喪失した。そこで、右収入を基礎にホフマン式計算方法により、年五分の割合による中間利息を控除して同人の症状固定時の逸失利益の現価を計算すると、次のとおり七七九三万六九五二円となる。

(算式)

386,500円×12×16,804=77,936,952円

(4) 入院慰謝料 二〇〇万円

(5) 後遺障害慰謝料 一四一〇万円

(6) 弁護士費用 五〇〇万円

よつて、原告は、被告竹本、被告李及び被告和田に対し、本件事故による損害賠償として、各自、一億〇四三二万七四〇二円及びこれに対する本件事故の日の後である昭和五九年二月一三日から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を支払うことを、被告東京海上、被告日動火災及び被告大正海上に対し、それぞれ、自賠法一六条に基く損害賠償額の支払いとして、前記損害金のうち、自賠法施行令二条所定の後遺障害等級表三級の保険金の限度額である一五六七万円を支払うことを求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1  被告竹本

(一) 請求原因1(第一事故の発生)のうち、(一)、(三)ないし(五)は認めるが、(二)は否認する。第一事故現場は、大阪市西成区南津守七丁目(地番不詳)先の路上である。同2(第二事故の発生)は不知。

(二) 同3のうち、被告竹本が竹本車を保有し、これを自己のために運行の用に供していたことは認めるが、第一事故と第二事故が民法七一九条一項の共同不法行為に当たるとの主張は争う。

(三) 同4(損害)は否認する。

2  被告李

(一) 請求原因1(第一事故の発生)及び同2(第二事故の発生)は認める。

(二) 同3のうち、被告李が李車を保有し、これを自己のために運行の用に供していたことは認めるが、第一事故と第二事故が民法七一九条一項の共同不法行為に当るとの主張は争う。

(三) 同4について

(1) (一)(1)のうち、主張のとおりの傷病名で主張のとおり入通院したことは認めるが、本件事故との因果関係は否認する。(2)の後遺障害の発生は否認する。

(2) (二)(損害額)は争う。

3  被告和田

(一) 請求原因1(第一事故の発生)は不知、同2(第二事故の発生)は認める。

(二) 同3のうち、被告和田が和田車を保有し、これを自己のために運行の用に供していたことは認めるが、第一事故と第二事故が民法七一九条一項の共同不法行為に当るとの主張は争う。

(三) 同4のうち、(一)(受傷内容、治療経過及び後遺障害)は不知、(二)(損害額)は争う。

4  被告東京海上、被告日動火災及び被告大正海上

(一) 請求原因1(第一事故の発生)のうち、(一)、(三)ないし(五)は認めるが、(二)(第一事故現場)は不知、同2(第二事故の発生)は認める。

(二) 同3について

(1) (一)のうち、被告竹本、被告李及び被告和田らがそれぞれ竹本車、李車、和田車を保有し、これらを自己のために運行の用に供していたことは認めるが、第一事故と第二事故が民法七一九条一項の共同不法行為に当るとの主張は争う。

(2) (二)は認める。

(三) 同4について

(1) (一)のうち、主張のとおり入通院した事実は認めるが、受傷内容及び後遺障害の発症については否認し、右入通院と本件事故との因果関係は争う。

原告は、昭和五七年三月二四日に、後退した普通貨物自動車が原告の運転する普通乗用自動車の後部に衝突する事故に遭つて、愛泉病院において、頸椎捻挫及び左下肢打撲の傷病名で入院七〇日間、通院四か月余り(実通院日数五四日)の治療を受け、同年一〇月一二日、頭痛(左片頭痛)、左頸部、左肩及び左上肢にかけての痺れ感、眼精疲労、流涙著明、眩暈、頭のふらつき感、左腰部痛、左下肢痛があり、腓腹筋痙攣を起こしやすくなつた(いずれも自覚症状)との後遺障害診断を受けており、また、昭和五八年五月二一日には、殺人未遂事件の被害者として、左側頸部及び左右腋下の刺創、左肩及び左手拇指の切創という重傷を負わされ、出血性シヨツクにより瀕死の状態にまでなつたことがあるところ、本件事故はいずれも極めて軽微な事故であつて、物理的及び医学的に見て原告に重い傷害又は後遺障害を負わせるような外力が原告に加わつたはずがないから、原告の症状は、これらの既往症かあるいは心因的要因によるものというべきであり、仮に何らかの傷害を負つたとしてもごく軽度のものに過ぎないというべきである。

(2) (二)(損害額)のうち、(1)、(4)及び(5)は否認し、(2)、(3)及び(6)は不知。

三  抗弁

1  免責(被告和田)

第二事故は、被告和田が和田車を運転して第二事故現場の交差点を時速約三〇キロメートルで直進しているときに、和田車の右側を並進していた李車が交差点内で突然に左折を開始し、和田車の右前方約三メートル以内の至近距離で、和田車の進路を塞いだために発生したものであり、本件事故発生について、被告和田に過失はなく、本件事故は専ら被告李の過失によつて発生したものである。

そして、本件事故当時、和田車には構造上の欠陥も機能の障害もなかつた。

2  過失相殺ないし好意同乗(被告李)

第二事故当時、被告李は原告の依頼で原告を天王寺駅まで送るために原告を李車に同乗させていたものであり、原告は、第二事故現場に至るまでの途中で、電車に間に合うようにと被告李を急がせ、走行経路を指示し、被告李に代わつて自らも李車を運転していたものであるから、そもそも被告李と原告との関係は他人性がない好意同乗であるというべきであり、また、本件事故の原因である被告李の交差点内における突然の左折は原告の指示によるものであるから、第二事故発生については原告にも過失があるというべきであり、相当程度の好意同乗減額及び過失相当がなされるべきである。

3  損益相殺(被告ら)

(一) 被告東京海上、被告日動火災及び被告大正海上は、本件事故に基づく損害賠償額の支払いとして、原告に対し、それぞれ自賠責保険金七五万円ずつを支払つた。

(二) 被告竹本の使用者である訴外門真陸運株式会社と、被告李との間でそれぞれ自動車保険契約を締結していた訴外安田火災海上保険株式会社(以下、「訴外安田火災」という。)は、原告に対し、昭和五九年三月一九日から同年九月二五日までの間に休業補償として合計二〇九万円を支払つた。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1及び2は否認する。

2  同3は認める。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  第一事故の発生について

原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二号証及び第四号証(但し、原告と被告和田、被告東京海上、被告日動火災及び被告大正海上との間では、甲第四号証の成立は争いがない。)、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二号証(但し、後記採用できない記載部分を除く。)、丁第二五、第二六号証、成立に争いのない丁第三五号証(但し、後記採用できない記載部分を除く。)、第四三号証(なお、丁第三五号証については、原本の存在についても争いがない。)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、昭和五九年二月九日午後四時二〇分ころ、緩やかな上り坂になつている大阪市住之江区内の交差点の手前の道路で、大倉が運転し、助手席に訴外吉田好子(以下、「吉田」という。)、後部左座席に原告、同右座席に田村純一の同乗する大倉車が赤信号待ちで停止していたところ、大倉車の前方で信号待ちをしていた竹本車の運転手被告竹本が、竹本車のブレーキペダルから足を離したために、竹本車が約一・五メートル後退し、竹本車の後部が大倉車の前部に衝突する事故(原告主張の第一事故)が発生し、竹本車の後部バンパー(地上七四センチメートルから七七センチメートル、右から左に八〇センチメートルから八七センチメートルの範囲)に擦過痕が生じ、大倉車の左前ボンネツト(地上八〇センチメートル、左から右に六四センチメートルから八〇センチメートルの範囲)に凹損が生じたことを認めることができる(但し、原告と被告李との間では第一事故の発生は争いがなく、原告と被告竹本、被告東京海上、被告日動火災及び被告大正海上の間では、第一事故の発生は、事故発生場所の点を除き、争いがない。)。

なお、被告竹本は、第一事故現場について、大阪市西成区南津守七丁目(地番不詳)先の交差点である旨主張し、前掲乙第二号証及び丁第三五号証(但し、丁第三五号証中には第一事故の発生場所として大阪市住之江区北加賀屋二先の交差点との記載部分があるが、前掲丁第二五号証によれば乙第二号証記載の交差点と同一の交差点を指すものと認められる。)中にはこれに副う記載部分もあるが、前掲丁第二六号証及び同第四三号証によれば、第一事故後の昭和五九年二月一一日に住之江警察署の警察官が被告竹本立会いの下で実施した実況見分において、被告竹本は自ら、第一事故の現場が大阪市住之江区泉一丁目一番七二号先住之江公園前交差点の約五〇メートル西側の大阪内環状線路上で、第一事故現場南側にある市バス操車場から出入りする市バスのために設置された車両用信号の西側の東行車線上である旨指示説明していることからすると、被告竹本の主張はにわかに採用できないところであり、また、被告竹本が、前記実況見分で指示した住之江公園交差点の西方約五〇メートルの大阪環状線路上についても、前掲丁第二六号証及び弁論の全趣旨により右場所を昭和六三年一二月一日に撮影した写真であると認められる検丁第一ないし第三号証によれば、右場所は竹本車の進行方向に向かつて緩やかな下り勾配になつていることが認められるから、前認定のような態様で発生した第一事故の現場とは認め難く、他に前認定を左右するに足りる証拠はない。

二  第二事故の発生について

成立に争いのない丙第一号証の一ないし六、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第三号証及び第五号証(但し、原告と被告和田、被告東京海上、被告日動火災及び被告大正海上との間では、甲第五号証の成立は争いがない。)並びに原告及び被告和田の各本人尋問の結果によれば、請求原因2(第二事故の発生)の事実を認めることができる(但し、原告と被告李、被告和田、被告東京海上、被告日動火災及び被告大正海上との間では、第二事故の発生は争いがない。)。

三  被告らの責任

1  被告竹本、被告李及び被告和田が、それぞれ竹本車、李車及び和田車を保有し、これらを自己のために運行の用に供していたこと、及び請求原因3(二)の事実は当事者間に争いがない。

2  そこで、被告和田の免責の抗弁について判断する。

(一)  前認定の事実(第二事故の発生)に、前掲甲第三号証、第五号証、丙第一号証の一ないし六、弁論の全趣旨により第二事故現場を昭和六三年一一月一八日に撮影した写真であることが認められる検丁第九、第一〇号証並びに原告及び被告和田の各本人尋問の結果を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(1) 第二事故現場は、東西の走る片側三車線のアスフアルト舗装道路(以下、「東西道路」という。)と、南北に走る片側一車線のアスフアルト舗装道路(以下、「南北道路」という。)が交差する交差点内であるところ、東西道路は、最高速度が時速四〇キロメートルに規制されており、その西行車線(以下、西行車線の最も南寄りの車線を「第一車線」、最も北寄りの車線を「第三車線」、その間の車線を「第二車線」という。)は、交差点の少し手前付近から交差点までの間の第一車線がゼブラゾーンになつて(ゼブラゾーンの幅員は、二・〇メートル、第二車線及び第三車線の幅員は、各三・三メートルある。)、その間は二車線に車線が減少している。

なお、第二事故当時、天候は雪で積雪はなかつたが、とけた雪で路面は湿潤し滑りやすい状態にあつた。

(2) 被告李は、第二事故当時、原告を同乗させた李車を運転し、西行車線の第三車線を走行して第二事故現場の交差点に差しかかり、交差点の直前で時速約二〇キロメートルで第二車線を走行中の和田車を認めていたが、左折して南北道路を南進しようとして、あらかじめ道路の左側端に寄ることなく和田車より速い速度で交差点内に進入したうえで、交差点の中央付近で突然左折を開始し、和田車の進路前面に覆いかぶさるよう進出したことから、李車の左側面に和田車の右前角が衝突し、さらに、その衝撃で和田車の右側面と李車の左後部側面とが衝突した。右衝突後、李車及び和田車は、第三の車両や歩道縁石に衝突することなく交差点内に停止した。

(3) 被告和田は、第二事故当時、和田車を運転し、第二車線を時速約二〇キロメートルで走行して第二事故現場の交差点に差しかかり、交差点のほぼ中央付近まで進行したとき、右側の第三車線を進行していた李車が突然自車の直前で前面に覆いかぶさるように左折してきたのに気がついたが、ハンドルやブレーキによる衝突回避の措置をとる間もなく、気がつくのとほぼ同時位に前記のとおり李車に衝突した。

なお、原告は、被告和田が第二事故現場の交差点手前で左折信号を出していたと主張し、原告本人尋問の結果中には、これに副う供述部分があるが、前認定の和田車の第二事故当時の速度や交差点内での走行状態、さらには交差道路が片側一車線の道路で二台の車が並行して左折進入できる状況にはないことなどに照らすと、にわかには信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  右認定事実によれば、第二事故は、第三車線を直進していた李車があらかじめ道路の左側端に寄ることなく交差点のほぼ中央付近まで進行したうえ、同所で突然に左折を開始し、李車の左側の第二車線を走行していた和田車の前面に覆いかぶさるように進出したという被告李の過失によつて発生したものであることが明らかであり、他方、被告和田としては、自己の右側の第三車線を進行していた車両が突然同車線で左折を開始して自車の前面に覆いかぶさるように進出してくることについてまでは予見できる状況になかつたというべきであるから、被告和田には、第二事故の発生について過失があつたということはできない。そして、弁論の全趣旨によれば、被告和田車に構造上の欠陥及び機能の障害がなかつたことが認められるから、被告和田には、第二事故についての損害賠償責任はない(自賠法三条但書)。

3  以上によれば、自賠法三条に基づき、被告竹本は第一事故によつて原告に生じた損害を、被告李は第二事故によつて生じた損害をそれぞれ賠償する責任があり、また、自賠法一六条に基づいて同法施行令所定の保険金額の限度で、被告大正海上は第一事故によつて原告に生じた損害の、被告東京海上は第二事故によつて原告に生じた損害の各賠償額をそれぞれ支払う義務があることになるが、前記のとおり被告和田に責任がない以上、被告日動火災にも自賠法一六条に基づく損害賠償額の支払義務はない。

なお、原告は、第二事故は第一事故による傷害の治療を受けるための入院準備の目的で勝浦の自宅に帰る途中の事故であつて、両事故の間には相応の関連性があり、両事故があいまつて原告に重大な障害をもたらしたものであるから、両事故は共同不法行為の関係にあると主張するが、前認定のとおり、第一事故と第二事故との間には、事故発生の日時、場所のいずれについても接着性はなく、仮に、原告主張のとおり第二事故が第一事故による受傷のための入院準備中の事故であつたとしても、入院準備のために受傷者自身が勝浦というような遠隔の地(天王寺・勝浦間の所要時間は特急列車でも三時間半以上を要することは公知の事実である。)に赴くこと自体異例であつて入院に伴う通常の行為とはいえず、両事故の間には行為の関連共同性を認めることはできないから、原告の右主張は採用できない。

四  原告の受傷内容、治療経過及び後遺障害

1  前認定の事実に、前掲丁第二五号証、成立に争いのない乙第一号証、丁第二四号証、第三四号証の一ないし四、第四四ないし第四六号証、原本の存在・成立に争いのない丁第一、第二号証、第四ないし第一四号証、第二三号証、第二八ないし第三三号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第六号証、第九号証、第一一ないし第一三号証、第一九ないし第二三号証及び第二五、第二六号証、証人大庭健の証言により真正に成立したものと認められる甲第七、第八号証、第一五、第一六号証及び第一八号証、証人出張健次の証言により真正に成立したものと認められる丁第三七号証及び第四一、第四二号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一〇号証、第一四号証、第一七号証、第二四号証、第二七号証、丁第三号証の一ないし八、第二七号証、第三六号証、第三八ないし第四〇号証及び第四七号証(但し、丁第三号証の一ないし八、第二七号証、第三六ないし第四〇号証については原本の存在とも認められる。)、証人大庭健及び同出張健次の各証言並びに原告本人尋問の結果を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(一)  原告は、第一事故ののち、被告竹本、大倉、吉田及び田村とともに住之江警察署に事故報告に赴き、約三〇分間第一事故の状況を報告し(田村は、警察署内には入らず、大倉車の中で事故報告が終わるのを待つていた。)、その後、愛泉病院に赴いて同病院で診察を受けたが、その際、同病院の医師に対し、左頸部痛、左頸部から左手背までの痺れ感、眩暈、嘔気、第五ないし第七頸椎棘突起の圧痛、傍脊椎筋の圧痛、頸部運動痛を訴え、さらに、スパーリングテスト、ジヤクソンテスト及び肩下制テストでも左頸部痛を訴えたが、レントゲン写真上は異常所見はなかつた。右診察の結果、頸部捻挫と診断され、原告は、同病院に入院を希望したが、空きベツドがなかつたので入院できず、投薬を受けて帰宅した。

なお、第一事故当日、大倉、田村及び吉田は、原告とともに愛泉病院に赴いたが、大倉及び田村は第一事故による傷害がなかつたので受診せず、吉田は、発熱と吐気を訴えて受診し、たまたま女性用の病室の空きベツドがあつたので、経過観察のために入院したが、検査の結果性病が発見され、同病院から健康保険による診療を勧められたことから、怒つて同病院を退院し、その二、三日後に通院したものの、同病院から事故扱いによる診療を断られたことから、以後通院しなくなつた。

(二)  原告は、翌日の二月一〇日にも、項部痛及び左肩痛を訴えて愛泉病院を受診したが、やはり空きベツドがなく入院できなかつたので、自ら方々の病院に問い合わせたところ、吉川病院(当時の名称は日聖病院)の担当者から、ベツドが空いているので同月一三日(月曜日)に診察を受けに来るようとの回答を得た。

(三)  そこで、原告は、入院準備等のために同月一二日の夕方の列車で、勝浦の自宅(自宅には原告の妻がいた。)に帰宅しようとして、友人である被告李の運転する李車に同乗して天王寺駅に向かつたが、その途中で第二事故に遭つた。第二事故後、被告和田に都島警察署への事故報告をするように依頼し、とりあえず、そのまま天王寺駅に向かつたが、乗車を予定していた列車に間に合わず、一旦被告李の自宅に引き返して、午後一一時発の最終列車で勝浦へ帰つた。被告和田は、第二事故の際、原告が事故現場で頸に包帯を巻いているのを見ているが、特に身体の支障についての訴えは聞いておらず、被告李が急ぐ用事があるといつて名前を告げてすぐに現場から立ち去つたので、一人で都島警察署に事故報告をし、翌日、被告李から連絡を受けたため、同人とともに再び都島警察署に赴き事情聴取を受けた。その後、被告和田は、被告李から李車の同乗者(原告)の治療は李車の搭乗者保険で処理するから任せて欲しい旨の連絡を受けたのみで、原告とは会つていない。

(四)  原告は、第二事故の翌日の二月一三日の早朝の列車で大阪に出て、同日午後吉川病院(当時の名称は日聖病院)で診察を受け、後頭部痛、左項部痛、左首筋の圧痛、左手の痺れ感及び嘔気を訴えて同日同病院に入院し、その後同様の症状を訴え、同月二〇日付けで頸部捻挫により同月一三日から約一か月間の安静、入通院加療を要する旨の診断を受けた。原告は、さらに同病院入院中の同月二一日から腰痛及び左上下肢の痺れ感も訴えるようになり、同年三月一日には歩行時に左下肢がもつれるなどとも訴えていた(原告は、吉川病院の吉川光男医師から、同年四月二八日付けで頸部捻挫に加えて腰部捻挫の診断も受けた。)が、脳波検査、頭部及び頸部のCT検査並びに頸椎及び腰椎レントゲン検査上には何ら異常所見はみられなかつた。同病院入院中、原告は、点滴、投薬、湿布等の治療を受けているが、同年三月九日からはリハビリテーシヨンをも受けるようになつた。

(五)  原告は、吉川病院入院当初から病室を出て外出することがあり(原告は、同年二月一四日の午後七時ころ病院に無断で外出し、翌日の午前〇時三五分ころ帰院しており、また、同月一七日は午後から外出し、午後七時ころ酒に酔つて帰院した。)、また、同年三月三日からは週末等に病院の許可を得て外泊し、同年六月一八日の退院までに二一回ほど外泊している。

また、竹本車の所有者である門真陸運及び被告李と自動車保険契約を締結していた安田火災の社員である訴外主張健次(以下、「出張」という。)は、保険金支払いの査定のために吉川病院に入院中の原告を四回程訪ねているが、同年五月四日に原告を尋ねた際に、原告は、出張に対し、左手及び左足が痛いと訴えていたにもかかわらず、話を終えて病院から一〇〇メートル程離れたところを歩いて帰つている出張を、小走りで追いかけて呼び止めたということもあつた。

(六)  原告は、昭和五九年六月一八日に吉川病院を退院したが、退院後も吉川病院に通院を継続してリハビリテーシヨンを受け(同年六月は五日、七月は一四日、八月は八日、九月は一日各通院した。)、左半身の痺れ感、脱力感を訴え続けた。そして、原告は同月二二日から吉川病院と並行して、妻子の居住する勝浦の自宅近くの板野クリニツクにも通院するようになり(同年六月は四日、七月は一三日、八月は一二日、九月は一〇日各通院した。)、勝浦の自宅と、吉川病院のある大阪市守口市との間を頻繁に往復して、板野クリニツクでも注射及びリハビリテーシヨン等の治療を受けた。

(七)  原告は、昭和五九年八月三日に出張から大阪赤十字病院で検査を受けるように勧められ、同月二三日、同月二五日の両日、同病院に赴いて同病院の大庭健医師の診察を受けているが、同医師は、右診察に基づき、同年九月一三日付けで外傷性頸部症候群、腰部捻挫及び左坐骨神経痛により自覚症状として、頭痛、項部痛、耳鳴り、視力低下、左半身の痺れ感、脱力感、腰痛及び左下肢痛があり、他覚症状及び検査結果として、軽度の肝機能障害、軽度の糖尿、第三、第四頸椎の椎体後縁の軽度の変形、第六、第七頸椎の釣椎関節の軽度の変形、第五ないし第七頸椎及び第四腰椎の領域の筋力低下が認められ、神経症状としては、頸部に左側を中心とする圧痛、疼痛性の運動制限等相当頑固な症状、腰部に腰痛、左坐骨神経痛等の症状、左半身の知覚障害が認められ、症状固定日は同日である旨の後遺障害診断書を発行しており、また、同医師は、同年八月二五日付けで、原告の訴える知覚障害と運動障害にアンバランスがあることや知覚障害が正中線ではつきりと直線的に分かれていることなどから心因性加重も考慮される旨の意見書を作成している。

なお、右大庭健医師の診断に基づき、事故後、原告の治療費と休業補償費を負担してきた安田火災は、同年九月二五日の支払いをもつて被告に対する休業補償の支払いを、同年一二月二四日の支払いをもつて病院に対する治療費の支払いをそれぞれ打ち切つた。

(八)  その後、原告は、昭和五九年一〇月二七日から再び吉川病院に入院してリハビリテーシヨンを受け、昭和六〇年二月一日に退院したのちも、同病院に通院を継続した(昭和六一年六月二日までに実通院日数で一三二日通院した。)が、同病院の吉川光男医師は、昭和六〇年三月一二日付けで、前記の大庭健医師の昭和五九年九月一三日付け後遺障害診断書とほぼ同趣旨の内容で、症状固定日を昭和六〇年三月一三日とする後遺障害診断書を作成している。

(九)  原告は、身体障害者福祉法に基づく身体障害者の認定を受けるために、昭和六〇年六月一〇日から河内総合病院で診察及び検査を受けているが、同病院の池田裕医師は、右診察及び検査の結果に基づき、同年八月三日付けで原告の左上肢機能に著しい障害があつて、左手の握力低下が著明であり、腰部疼痛のために坐位の保持の支障と歩行障害があり、また左下肢の筋力低下のため左片側による起立保持が不能であり、機能全廃の状態にある旨の診断書を発行しており、これをもとに原告が大阪府知事に身体障害者の認定申請(身体障害者手帳の交付申請)をしたところ、同知事は、原告には外傷性頸部症候群、腰部捻挫及び左坐骨神経痛による左下肢機能の著しい障害があつて身体障害者福祉法別表の四級の障害に該当するとして、昭和六〇年八月三日付けでその旨の身体障害者手帳を原告に交付した。

(一〇)  原告は、昭和六〇年九月二五日から、吉川病院に通院する傍ら勝浦の木下医院にも通院して点滴等の治療を受けるようになり、吉川病院及び木下医院通院中の同年一〇月二四日、再び大阪赤十字病院の大庭健医師の検査を受け、同医師から同日付けで、症状固定日を同日とし、前記昭和五九年九月一三日付けの診断書の診断内容に加えて、傷病名として左半身不全麻痺と括弧書による外傷性神経症を掲げ、原告には相当著明な頸部、腰部の神経症状があり、左半身に著明な筋力低下、知覚障害があつて、特に肩関節の挙上運動が制限されるとともに左下肢の脱力のために偏脚起立が不可能で、常時杖が必要な状態にあるがこれらの症状には神経症による加重も考慮されるとの診断書を発行している。

(一一)  原告は、昭和六一年六月三日に、吉川病院に三度目の入院をして同年一一月二六日まで入院し、退院後も引き続き同病院に通院を継続しているが、同病院入院中の同年八月六日に視力障害の検査のために関西医科大学付属病院において診察を受け、視力障害(右眼視力一・五、左眼視力〇・三)のほか視野障害、左眼瞼下垂があつて、左眼球後視神経炎及び脳性視野障害の疑いがあり、外傷以前が正常であつた場合は、これらの原因としては外傷が最も考えられる旨の診断を受けている。また、原告は、同年一〇月二三日から、大阪赤十字病院に通院して三度目の検査を受け、右検査結果及び診察の結果に基づき、前記大庭健医師は、同年一一月一三日付けで症状固定日を同日であるとし、前記の昭和五九年九月一三日付け及び昭和六〇年一〇月二四日付け診断書の診断内容に加えて、頸椎のCT検査の結果、頸椎に骨変化がみられ頸髄神経根の障害の可能性があると診断しており、吉川病院の吉川光男医師も、同年一一月二五日付けで原告の後遺障害診断書を作成し、症状固定日を同月二六日としたほかは、大庭健医師作成の同年一一月一三日付け後遺障害診断書とほぼ同趣旨の診断をしている。

(一二)  原告は、本件事故以外にも昭和五七年三月二四日午後二時一〇分ころ、大阪府四條畷市清滝中町三〇番五五号先道路上で、普通乗用自動車(大阪三三と四三八三号)の運転席に乗車して停車中、同車の後部に、後方から誤つて下り坂を後退してきた訴外田中太一運転の普通貨物自動車(大阪一一そ六五五一号)の後部が衝突するという事故(以下、「五七年事故」という。)に遭い、事故後、頸部痛、頭痛、頭重感、左肩から左上肢にかけての痺れ感(脳波及びレントゲン検査の結果では異常所見は認められていない。)を訴えて、相当長期間にわたつて愛泉病院に入通院(同年三月二六日から同年六月三日まで七〇日間入院し、同年三月二四日から同月二五日までと同年六月四日から同年一〇月一二日までの間に五四日通院)しており、同病院の藤野久博医師は、同年一〇月一二日付けで、原告には頸部捻挫及び左下肢打撲により、頭痛(左片頭痛)、左頸部から左肩、左上肢にかけての痺れ感、眼精疲労、著明な流涙、眩暈、頭のふらつき感、左腰部から左下肢痛があるほか、腓腹筋痙攣を起こしやすくなつたというような症状(いずれも自覚症状)があり、症状固定日は同日である旨の後遺障害診断書を発行している。

(一三)  また、原告は、昭和五八年五月二一日午後四時一五分ころ、大阪府東大阪市花園本町一丁目六番三七号先路上で、妻の実父である広川宇一郎に刃体の長さが約二〇センチメートルの刺身包丁で身体を切り付けられ、<1>右腋下刺創(幅約五センチメートル、深さ胸腔内致達)、<2>左腋下刺創(幅約五センチメートル、深さ約一〇ないし二〇センチメートル)、<3>左頸部刺創(幅約二センチメートル、深さ約一〇センチメートル)、<4>左拇指切創(長さ約二センチメートル、深さ約〇・五センチメートル)、<5>左肩切創(長さ約五センチメートル、深さ皮下)の各傷害を受けて同日大阪大学医学部付属病院に入院するという事件(以下、「五八年事件」という。)に遭つており、右傷害による出血性のシヨツクのために一時は危険な状態に陥つたこともあつたが、一命を取り止め、同年六月四日まで同病院に入院したのち、同日から喜馬病院に転院し、同病院では、左拇指切創による屈筋腱断裂のために動かなくなつた左拇指に対する腱縫合術、腱移植術の施行を受けたほか、輸血による肝炎の治療等も受けて、同年七月二一日退院している。

(一四)  本件事故による原告の後遺障害について、自動車保険料率算定会大阪損害調査事務所は、昭和五九年一〇月二三日、レントゲン所見上頸椎および腰椎に著変は認められず、受傷状況から神経症状であるとする顧問医の意見と、頸部については、原告が既に五七年事故により後遺障害別等級表の一四級三号の認定を受けていることを考慮して、本件事故による原告の後遺障害は腰部に限られ、その程度は後遺障害別等級表の一四級三号に該当するものであるとの認定をした。

これに対し、原告が異議申立てをしたが、同調査事務所は、同六〇年二月二〇日、既認定のとおり、後遺障害別等級表の一四級三号に該当するものであるとの認定をしている。

2  受傷の有無

そこで、以上の各事実を前提に、原告が本件事故によつてその主張のように頸部捻挫及び腰部捻挫の傷害を負つたかどうかについて検討する(なお、原告は、被告東京海上、被告日動火災及び被告大正海上が、本件事故によつて原告が負傷したことを自白していると主張するが、同被告らは原告の受傷内容及び程度まで自白したものではないから、この点の認定が不要となるものではない。)。

(一)  第一事故による受傷の有無

まず、第一事故が、頸部捻挫及び腰部捻挫の受傷機転となり得るかどうかについて検討するのに、第一事故の態様は、前認定のとおり、信号待ちのため停車していた大倉車の前部に、被告竹本がブレーキを離したために約一・五メートル後退した竹本車の後部が衝突したいわゆる逆突事故であり、後退の原因となつた上り坂は緩やかで、事故後の大倉車及び竹本車の車両損傷状況もごく軽微であり、大倉車に乗車していた大倉及び田村は受診もしておらず、吉田は症状を訴えて愛泉病院で受診したものの、同病院では事故扱いとすることを拒否されてその後は通院していないこと、及び原告は、第一事故の直前に大倉車の運転手である大倉が被告竹本に警告するためのクラクシヨンを鳴らしたので、事前に体を前に倒すように身構えていたのであつて(この事実は原告本人尋問の結果により認められる。)、無意識の状態で頸部に衝撃が加わつたものではないことなどの点に照らすと、第一事故による衝撃が、受傷機転となり得るかについては疑問な点もないではないが、前記のとおり、竹本車は大型貨物自動車であつて、普通乗用車である大倉車の数倍の重量があるはずであるから、衝突の速度が低速であつても衝撃は比較的大きかつたと考えられること、原告の第一事故前の健康状況については必ずしも明確でない点があるとはいえ、第一事故直後に受診した愛泉病院では、明確に左頸部痛、左頸部から左手背までの痺れ感、眩暈、嘔気等の頸部捻挫に特有な症状を訴えていること、頸部捻挫は、外力が身体に加わつたときの体位によつては、比較的軽微な外力によつても生じ得ると考えられることなどの点を考慮すると、第一事故もごく軽度の頸部捻挫であれば受傷機転となり得ないとまで断定することはできず、これらの点に前認定の各医師の診断内容等を併せ考えると、原告は第一事故によりごく軽度の頸部捻挫の傷害を受けたものと認めるのが相当である。しかしながら、前認定の第一事故の態様によれば右のように体を前に倒すように身構えていた原告に、前方からの衝撃が加わつたはずであるから、通常は腰部を打撲したり、ねじつたりするような力は働かず、腰部捻挫は起こり得ないと考えられるから、第一事故は腰部捻挫の受傷機転とまではなり得ず、第一事故によつて腰部捻挫の傷害を受けたものとは認め難い。

(二)  第二事故による受傷の有無

次に、第二事故が、頸部捻挫及び腰部捻挫の受傷機転となり得るかどうかについて検討するのに、第二事故の態様が、前認定のとおり、時速約二〇キロメートルで直進中の和田車の進路前面に李車が覆いかぶさつて李車の左側面に和田車の右前角が衝突し、さらに、和田車の右側面が、李車の後部左側に衝突したものであることに鑑みれば、第二事故は頸部捻挫及び腰部捻挫等の受傷機転となり得るものであるといえるが、前認定のとおり、原告は、第二事故後、事故現場において特段の症状を訴えていないことや、吉川病院の原告の入院カルテには、昭和五九年二月二二日になつてはじめて第二事故のことが記載されており、入院時の同月一三日のカルテには第一事故の記載のみしかないこと(この事実は前掲甲第一四号証により認められる。)に照らせば、原告自身の第二事故による衝撃は軽微であつたものと考えられるから、第二事故もごく軽度の頸部捻挫及び腰部捻挫の受傷機転となり得るにとどまり、これらの点に前認定の各医師の診断内容等を併せ考えると、原告は第二事故によりごく軽度の頸部捻挫及び腰部捻挫の傷害を受けたものと認めるのが相当である。

3  後遺障害の有無、程度

次に、原告は本件事故により左上肢及び左下肢の著しい機能障害、腰部疼痛、左手握力の著しい低下、視力障害等の後遺障害が生じたと主張するので検討するのに、前認定の事実によれば、原告は吉川病院入院後間もなく左上肢及び左下肢の痺れ感や知覚障害を訴えてはいるが、本件事故を受傷機転とする頸部捻挫及び腰部捻挫がごく軽度のものであつたと認められるのは前記のとおりであり、吉川病院入院中も原告は、外出・外泊が多く、出張が吉川病院入院中の原告を訪ねた際には、左手及び左足が痛いと訴えていたにもかかわらず、出張を一〇〇メートルほど小走りで追い掛けており、また、昭和五九年六月一八日に同病院を退院したのちは、吉川病院と板野クリニツクに並行して通院し、大阪と勝浦という遠隔地間を頻繁に往復したいたこと、また、原告の訴える症状に対応する他覚的所見に乏しい(前認定のとおり、レントゲン所見及びCT所見上、頸椎に変形性変化が認められるが、これらは、加齢による影響が大きいと考えられ、そうでなくとも、すくなくとも本件事故のような軽微事故による衝撃で生じ得るものとは認め難い。)ことなどの前認定の諸事情に鑑みると、前認定のような原告主張に副う医師の診断書があるからといつて、直ちに原告主張のとおりの後遺障害が発症しているとは認め難く、加えて、前認定のとおり、原告は、五七年事故で、頸部捻挫及び左下肢打撲の傷害をうけて、頭痛(左片頭痛)、左頸部から左肩、左上肢にかけての痺れ感、眼精疲労、著明な流涙、眩暈、頭のふらつき感、左腰部から左下肢痛、腓腹筋痙攣を起こしやすくなつたというような自覚症状のある後遺障害が残存したとの診断を受けているところ、右症状には本件事故後の各種の症状と重複する部分があり、また、前認定のとおり、五八年事件により左頸部及び左胸部等に極めて重篤な傷害を負い、これらの既往症が原告の症状に影響を与えている可能性もあると考えられること、さらに、前認定のとおり、原告の訴える知覚障害と運動障害にアンバランスがあるとされていることや、原告の知覚障害が原告の左半身に限られ正中線ではつきりと直線的に分かれていることなどから心因性要因による症状の加重も考慮すべきであるとされていること(大庭健医師及び吉川光男医師が原告の左半身不全麻痺は他覚的所見によつて裏付けることのできない外傷性神経症であると診断していることは、前認定のとおりである。)などの諸事情を総合考慮すると、原告の主張するすべての症状を本件事故による後遺障害と認定することは困難であり、本件事故と相当因果関係のある後遺障害としては、後遺障害等級表一四級一〇号の「局部に神経症状を残すもの」に該当する程度の神経症状にとどまり、本件事故と相当因果関係のある治療期間は三か月間と認めるのが相当である。

なお、原告の主張する左握力の著しい低下については、他覚的に推認し難いものであるうえ、仮にその事実があるとしても、前認定のとおり、五八年事件によつて左拇指の屈筋腱の断裂のため左拇指が動かなくなつて、手術を受けたものの、その後の回復状況は明らかでないので、直ちに本件事故と相当因果関係による後遺障害と認めることはできず、また、視力障害についても、前認定のとおり、関西医科大学付属病院において視力障害のほか視野障害、左眼瞼下垂があつて、左眼球後視神経炎及び脳性視野障害の疑いがあり、外傷以前が正常であつた場合は、これらの原因としては外傷が最も考えられる旨の診断を受けているが、その発症時期及び根拠は必ずしも明らかではないうえ、原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和六〇年一二月に運転免許証の更新をした際には、視力検査に合格し、眼鏡等の使用の条件は付されていないことが認められるので、右診断によつて直ちに本件事故により視力障害が発症しているとは認め難い。

五  損害額

1  入院雑費 一万五四〇〇円

前認定のとおり、原告は吉川病院に昭和五九年二月一三日から同六〇年二月一日までに合計二二五日間入院し、相当額の入院雑費を要したものと認められるが、前認定のようなごく軽微な頸部捻挫及び腰部捻挫の場合は、長期間の入院による治療は必要ではなく、相当性を肯定し得る入院期間は急性期の安静と経過観察に必要な二週間程度に限られるものというべきであるから、同五九年二月一三日から一四日間、一日当たり一一〇〇円の合計一万五四〇〇円が、本件事故と相当因果関係に立つ入院雑費と認められる。

2  休業損害 九〇万円

原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第一号証によれば、原告は、同五八年一〇月ころから株式会社土佐建設に勤務し、一月当たり三〇万円の給料を得ていたことが認められる(原告は、年二回の賞与を合わせると、本件事故当時、三九歳である原告と同年齢の男子の平均月収である三八万一三〇〇円を下らない収入があつたと主張するが、賞与の支給についてはこれを認めるに足りる証拠はなく、また、原告本人尋問の結果中には、妻の経営するスナツクの手伝いをしていたと述べる部分もあるが、これによる収入がどの程度であつたかを特定するに足りる証拠もない。)ところ、前記のとおり、本件事故と相当因果関係に立つ治療期間は三か月というべきであるから、右月収三〇万円を基礎収入として、原告の本件事故による休業損害の額を計算すると、九〇万円となる。

3  逸失利益 三三万五〇五二円

前認定の本件事故と相当因果関係に立つ原告の後遺障害の内容及び程度に、前認定のとおりの神経症状である後遺障害自体は月日の経過とともに徐々に軽快して消失する可能性が大きいものであることを考え合わせると、原告は、本件事故による後遺障害により、その症状固定日以降二年間にわたり、平均してその労働能力の五パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。

そこで、前記の月収三〇万円を基礎収入とし、ホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して、原告の後遺障害による逸失利益の本件事故当時の現価を計算すると、次のとおり三三万五〇五二円となる。

(算式)

300,000円×12×0.05×1.8614=335,052円

4  慰謝料 一三〇万円

前認定の原告の受傷内容、治療経過及び後遺障害の内容、程度によれば、本件事故によつて原告が被つた精神的、肉体的苦痛を慰謝するには一三〇万円が相当である。

六  過失相殺ないし好意同乗

抗弁2の事実を認めるに足りる証拠はないから、被告李の抗弁2の主張は採用できない。

七  損害の填補

抗弁3(一)のうち、被告竹本と自賠責保険契約を締結していた被告大正海上及び被告李と自賠責保険契約を締結していた被告東京海上が、それぞれ、原告に対して本件事故による損害賠償額の支払いとして自賠責保険金七五万円ずつを支払つたこと及び同3(二)の事実は当事者間に争いがなく、これらを前認定の原告の損害額に充当すると、原告の損害額はすべて填補済となることが明らかであるから、第一事故及び第二事故の損害発生に対する各寄与分について検討するまでもなく、原告が被告竹本、被告李、被告大正海上及び被告東京海上らに対して請求し得る残額は存在しない。

八  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、結果等に照らすと、原告に本件事故に基づく損害としての弁護士費用を認めることはできない。

九  結論

以上の次第で、原告の被告らに対する本訴請求は、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 笠井昇 松井英隆 永谷典雄)

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